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武漢は鉄鋼でつながる古い友人 大分市
2020/02/08

    武漢と言うと、多くの日本人は中学の国語教科書にあった詩仙、李白の「黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之くを送る」の詩を思い浮かべる。詩の中の武漢は水陸交通の要衝で、大きな川と広々とした空、そして美しい建造物群を有している。しかし日本の九州地区の大分県大分市の市民にとっては、武漢は特別な場所なのだ。

(日本の中学の国語教科書「黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之くを送る」ネット上に掲載されていた写真)

     鉄鋼が縁で結ばれた「鉄の兄弟」

    1972年、中日の国交正常化が実現した。この年、武漢は大分から日本の友人一行を迎えた。日本の新日鉄大分製鉄所の50人余りの技術者で、さらに彼らと共に数百トンの機械設備が到着した。中日間の空の交通がまだ発達していなかったあの時代に、一行は大分から上海を経由し、長江をさかのぼり、江城(武漢の別称)に到着した。一行の目的は新中国初の巨大鉄鋼コンビナート、武漢鋼鉄集団公司(武鋼)の製鋼技術向上を支援することであった。その後の数年の間に、武漢と大分の「義侠心に富んだ鉄の兄弟」は心を一つに協力し、限られた物質的条件の中で、幾多の困難を乗り越え、ついに武鋼ファミリーの鉄鋼年産量が「生産、販売共に400万トン」の水準に達し、この時から中国の鋼材の輸入依存という局面が変わった。

(武鋼ネット上の写真)

   1979年、改革・開放の力強いリズムを刻みながら、勢いよく発展する武漢は海外の都市と最初の友好都市関係を締結した。このとき、風光明媚で、人口が600万近くの「東洋のシカゴ」は「鉄鋼で縁のある」大分を最初の友好都市締結の対象に選んだ。

(武漢大分友好都市締結40周年写真展大分市役所サイトより)

    この時から、「鉄鋼の友情」は40年余りにわたり途切れることなく続いた。双方の交流はさらに工業の範疇を大きく超えて、都市ガバナンスフォーラム、経済・貿易協力、文化芸術の展示・公演、青少年相互訪問など各分野の往来が頻繁に行われてきた。

(大分市の佐藤樹一郎市長ネット上の写真より)

   こうした経緯のおかげで、人びとの心に友情の種が広くまかれた。大分市の佐藤樹一郎市長の話では、市はいくつかの都市と友好都市関係にあるが、48万の大分市民が最も熟知しているのは武漢だという。武漢遊学から戻った日本のある中学生は、中国の学友から別れ際に「私たちは少し遠く離れるが、何が起きても、あなたと私は永遠に良き友だ」と言われ、この感動は永遠に忘れない、と日記に記している。

 

(マスクを車に積み込む大分市役所職員ネットの写真から)

    2020年となり、武漢と大分の友情はすでに手を携えて「不惑」の年を越えた。しかしながら、今年の初め、武漢では突然、新型コロナウイルス肺炎感染が広まる事態となり、大分市民は心配した。テレビの報道をみて大分市民は「武漢だ、私達の『老鉄(鉄鋼でつながりのある古い友人)』の武漢が病気で大変だ」「私の友人は大丈夫だろうか」「心配で仕方ない」と話していた。日本の南国に位置する大分の気候はもう暖かいが、多くの人の心には不安がよぎった。「マスクが足りないらしい」「気道感染症にはマスク着用がとても重要だ」「少し送ろう」という声が出ていた。

  「老鉄」の感染状況が明らかに、大分市は率先して行動

    大分市役所はいち早く武漢の感染状況に留意していた。重大な瀬戸際において、佐藤市長は、大分にとって武漢の感染阻止への支援は辞退できないものであり、われわれのこの支援が武漢の一日も早い感染封じ込めの手助けとなり、武漢市民ができるだけ早く普段の生活に戻れるよう希望していると述べた。

   1月27日午後、大分市は防災倉庫にある3万枚の緊急備蓄用マスクを急きょ武漢に送った。続いて大分市はさらに600着の防護服と400個のゴーグルを寄付し、政府のチャーター機で武漢に運んだ。地震などの自然災害が頻発する日本のような国において、緊急備蓄品を放出することは大分市民の武漢に対する「鉄鋼のような」友誼(よしみ)を十分に示している。大分市役所職員は、大分と武漢は40年余りにわたって友好都市関係にあり、こうした緊急事態に際し、われわれはできる限りお役に立ちたいと話した。

(大分市役所の募金箱同市役所のサイトの写真より)

    2月3日、大分市役所は再びその公式サイトに武漢市への募金を呼びかける公告を掲載するとともに、市役所および市が管轄する20余りの公共施設に募金箱を設置した。市役所を訪れる人々の目に真っ先に入るのは募金箱であった。

    感染はまだ続くが、思いやりも伝わる。

   竹町ドーム広場は大分市の有名な商店街で、数年前に「大分春節祭」の永久会場となった。大分華僑華人会の黄梅雄会長が一人で発起し、開催の準備をしてきたこの中日友好の祝賀イベントは毎年、春節の時期にここで盛大に開かれ、すでに大分市民が春節期間に必ず訪れる「お決まりのイベント」となった。

(大分春節祭であいさつする大分華僑華人会の黄梅雄会長)

    今年の準備委員会で、皆がそれぞれ考えを述べ、「武漢にはわれわれの同胞がいる」とし、「われわれは何をすべきなのか」について黄会長と話し合った。黄会長はしばし沈黙した後、「春節祭は大分にいる中国人と日本の友人が一堂に会し、友好を語り合うものだ。武漢の同胞たちは感染との戦いを進めており、われわれは全力を尽くして彼らを支援すべきだ。今回の春節祭は武漢と中国にエールを送り、感染阻止のための寄付を募る慈善イベントに変えた方がよい」と提案した。皆は拍手喝采し、中国から来た女子留学生は感動の涙を流した。

(大分春節祭)

    2月2日、春節祭の会場は大分の各地から駆けつけた友好人士と日本の民衆ですぐにいっぱいになった。会場の真ん中の目立つ場所に置かれたサインボードは「武漢ばんばれ、中国がんばれ」の言葉で埋め尽くされていた。募金箱の前には長い列ができた。舞台では、中日両国の若い学生がはつらつと歌い踊り、懸命にステージを盛り上げ、遠くにある武漢を励ました。会場の傍らでは大分各地の農家が持ってきた新鮮な野菜や果物が販売され、その売り上げの一部が武漢に寄付された。こうした光景を目にした日本の友人は「武漢はきっと良くなる、武漢市民の強じんさできっと立ち上がることができる」と話していた。

(大分春節祭)

   友好を受け継ぎ広め、困難な時局を共に乗り越える。

   大分と武漢の40年間の友情は手を携えて共に発展し、困難や挑戦〈試練〉に共に立ち向かうことにより、時が経つほどに新しいものになっている。ある人は、今回の感染は鏡のようであり、真実を照らし出し、本当の愛を映し出していると話した。大分と武漢の間のような誠実かつ友好的で人々を感動させる物語が中日両国の間で繰り広げられている。

感染は必ず退散する。かすみ煙る暮春の光輝く景色は江城に必ずまた訪れる。詩仙が詠んだ「孤帆の遠影、碧空につき惟だ見る長江の天際に流るるを」という句の言葉を借りれば、その時にはまた、われわれは再び黄鶴楼に登り、美しい東湖を愛で、長江の雄大な流れを称賛するだろう。

    武漢は孤独ではない。武漢には鉄鋼同様に無数の良きパートナーがいる。

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